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私が開院した理由
治療家になろうと思った理由、それは…

学生時代にサッカーで足の怪我や痛みに苦しんだ経験から、痛みに苦しむ人をサポートしたい、普通に歩けず悩んでいる人の役に立つ仕事がしたいと強く感じたからです。
ブチンッ!!そんな音が聞こえてきそうなぐらいでした。
あれは高校1年生の夏。サッカー部の練習中に足首をかなり強く捻挫してしまいました。その日のうちに地元の整骨院に駆け込み、整骨院の先生から「しばらく絶対にサッカーしちゃ駄目やで!」と、一言。サッカーは今でも続けていて、小学生の頃からやっていましたが、捻挫したのはこの時が初めてでした。
ついつい休まずやっちゃうんですよね
比較的、怪我の程度も軽かったのでしょうか、3日ぐらいすると痛み、腫れはひき、走れるようにもなっていました。
整骨院にて
僕 : 「よっしゃー! 痛くないし 練習したいです!!」
先生 : 「痛みもなくなったし、もう来なくてもいいけど、 もっと休まないと駄目やで!」
僕の心の声 : 「いやいや、絶対、無理! 休める訳ないやん!」
サッカーが好き好きで、やりたくてたまらないので、当時は、部活を休むなんて考えられませんでした。痛くないし、もうこなくてもいいなら練習しよう!と、その時はゴールキーパーだったので、運動量も少なくジャンプもできるし、僕は先生の言うことは聞かずにできる事から練習をはじめました。
なんと若かった事でしょうそれがあんな事になるとは…
何度も繰り返す悪夢
少し違和感が残るものの普段通りのプレーはできるようになっていました。ただ、きちんとリハビリをしなかったせいか、その後、軽めの捻挫を2回繰り返していました。そして、試合中に古傷の左足首を おもいっきり捻挫!!「またやってもうた…」終了のホイッスルを聞くまで我慢してプレーを続けました。
「いつもみたいに、3日ぐらいしたら治るやろー。」と、思いつつ帰宅し、その翌朝、あまりの痛みで目が覚めたんです。「これサッカーできんの?」と、頭をよぎるぐらいの腫れと激痛でした。
人によって段違いの治療効果でした
同級生に「あそこは凄いでっ!!」と紹介された鍼灸整骨院でボロボロの足首をなんとか良くしたと思い、治療してもらうことに 決めました。実は、初めに通っていた整骨院の向かい…。その整骨院での施術後「え?!全然痛くない!もしかしてサッカーできるんちゃう?」
正しい歩き方や足の調整だけで、足首だけでなく、上げにくかった股関節や重かった腰も楽になり あの時は、帰宅して心配してくれていた母に治療後のこの感動をすぐ伝えました。
大阪以外の他府県からの患者さんや、技術を学びにこられてる先生がいるぐらい、 とても腕の良い先生でだったのですぐに痛みなく歩けるように なったんです。
大切な時期、絶対休みたくない…
僕は1年生夏頃からゴールキーパーとして、3年生の試合にレギュラーとして出場していました。ですが、高校2年のこの時期は、ゴールキーパーを辞めて、フィールドプレイヤーとして、ポジションを変えて、レギュラーを取れるかどうかのとても大切な時期でした。なんでゴールキーパーをやめたかは
お会いした時にでも興味があれば、聞いてくださいね。
そんな2年生の春に起きた怪我だったし、人間良くなると欲がでてくるもので、なんとか休まずに練習と試合に出続けて、レギュラーをとりたいという思いが芽生えてきました。休むとなかなかチャンスは巡ってきません。
先生の一言が 本当に嬉しかった
僕もうすうす感じてはいましたが、歩けることは歩けるけど、とてもじゃないけど走ったり、踏ん張ったり、切り返したりボールを蹴るなんてできないぐらいに、不安定な足首でした。ですが、「休まずにサッカーしたい思い」を先生に伝えました。
案の定、先生の診たてでは、捻挫はかなり酷く絶対、休んで安静にした方が早く良くなるとの事でした。ですが…。先生の次の一言に救われました。
先生 : 「 河野くんがやりたいんだったら、 サッカーやったらええ! 休まずに練習できる方法もあるし、 してあげるから先生もがんばるわっ!! 」
僕: 「え?!ほんまですか?!できるなら、めっちゃ嬉しいですっ!!」この時は先生が神さまにみえました
目標達成に感謝
まずは1番良くなる治療方針を提示してくれた上で僕の気持ちをくんで、柔軟に治療方針を変えてくださった事にすごく安心しました。先生の治療で、足首の痛みや動きは改善していき、テーピングでガチガチに足首を固めてもらうと、不安感が激減し走れました。
左足で踏ん張るのはまだ痛みがあったので、 利き足の右では強くはボールを蹴れません。逆に左足で蹴る方が痛くなくて、 それから左足ばかりで蹴るようになり上達したんです。不幸中の幸い?!テピングを外すと、靭帯が伸びているので、やはり足首はグラグラです。「ついにレギュラー奪取!!」
練習も試合も休まず、部活後の毎日の整骨院への通院が実り2年生の後半に取り戻せたんです。「よっしゃー!!」って、ほんまにそんな感じでした。
やりたい事がおもいっきりできないはがゆさ
レギュラーもとれて、なおさら休まずに練習し続けたせいで、足首の靭帯が伸び切ってテーピングをしてても、痛みはなかったのですが、不安感がでてきて思い切ってプレーできない状態でした。
ごまかしながらはもう無理やなこのままじゃまずいなぁ…。
と、思い先生とのリハビリの治療がはじまりました。自宅では、足首の筋トレを教えてもらいました。「かなり地味! !」でも、毎日やりましたよ
予防でサッカーが安心して楽しめるように
「おっ?!踏ん張れる踏ん張れる」リハビリと治療の甲斐あって、 グラグラだった足首も強くなり、
思い切ってサッカーができるようになりました。「サッカーできないなんて、もう嫌!」あんな思いしたくない。予防のために自分でできるテーピングを教えてもらい、まだ弱くて捻りやすい部分を補強して練習していました。
「休まず練習してレギュラーをとりたい!」という思いを、先生が汲み取ってくれて、治るためのバランス良い治療にほんとう に感謝してもしきれません。テーピングなしでも足首の事は忘れるぐらいに強くなっています。今でも思いっきりサッカーを楽しめるのは先生のリハビリと治療を頑張ったおかげです。
ぼんやりと描いていた将来像
・怪我した経験で得た知識
・本や雑誌から学んだ事
これを活かして捻挫したチームメイトにテーピングを巻いたりしていました。しかも素人のくせに得意気に
そんな僕の素人テーピングでも、「めっちゃ楽やん!安定するわ」と、喜んでもらえたのが 嬉しかったですね。
例えば、妊婦さんが出産体験を活かして、やっておいた方が良い事などを、初めて妊婦になった人に伝えてあげたい!というような思いと似てますね。
こんな治療家の真似事を高校生なりにして いました。
先生みたいな治療家になりたい
高校三年生になり、部活を続けながらも進路を考えないといけない時期にさしかかっていました。
そして、ぼんやりとしていた思いに気づいたんです。
チームメイトにしていたように怪我や体を悪くした人に自分の経験や思いを伝えて、
望みを叶えるためにサポートすることが楽しいと。
自分の怪我した時の願いを叶えてくれたような鍼灸整骨院の先生みたいな治療家になりたい。
こんな考えで進路を決めました。
治療家になるための国家資格としては、
・柔道整復師
・鍼灸師
・理学療法師
などさまざまです。
整骨院の先生は柔道整復師だったのですが、ご自身が持っていない資格の鍼灸の方を
勧めてくださいました。
迷いましたが、鍼灸の方がいろんな症状に対応できると聞いたのもあり鍼灸師にきめました。
理学療法士はリハビリを専門にするし迷っていたので、羽曳野にある府立看護大学の理学療法士学科も気になり、オープンキャンパスにも参加しましたが、理学療法士は独立開業する権利がないということを 聞きやめました。
不動産会社を独立開業していた、父の影響もあり、なんとなく開業したいなあと思っていたのも
あったのかもしれません。
寝る間も惜しんだ勉強と仕事の毎日
鍼灸師になるぞ!!と、決めてその進路を祖父に伝えると…
祖父:「目の不自由な人の仕事をとったらあかん」
僕:「えっ?? なんでなん…」
おじいちゃんっ子だった僕は、喜んでくれると思ったので、相当ショックでした。
まだ高校生という事もあり、そんな発言を受けて、おじいちゃんを少し嫌いになってしまいました。
好きだったので、応援してくれると思っていたので、なおさらだったんでしょう。
逆に絶対、鍼灸師になるぞ!と、強く決意したのも覚えています。
祖父からの思いがけない一言
僕が、進学したのは熊取にある関西鍼灸大学(現、関西医療大学)です。
当時は養成機関としては、専門学校は多かったのですが、大学は関西には3つしかないうちの
ひとつでした。
紀州路快速で片道2時間、往復4時間の道のりを四年間通い続け ました。
大学といっても職業訓練所のような感じで朝から夕方まで授業があり、一般的に思い描くキャンパスライフとは、ほど遠かったですね。
4年間での講義時間の合計は、5000時間以上です。
でも時間がないなりによく遊びましたし一生の親友もできました。
夜は学費のために朝までカラオケのアルバイトをしてほんとんど寝ずに、通学。
眠さのあまり寝過ごして、熊取駅を通り越して関西国際空港までいってしまったこともありましたね
目指す先生のところで奮闘
大学に通いながらも現場で働いて早く技術を身につけたいと思っていて、なぜか焦っていました。
僕はまだ足の治療で通っていて、その話を整骨院の先生に話していた際に『うちで働くか?』と聞かれ願ってもないチャンスだと思い、即答して翌日からお世話になることになります。展開早すぎですね。
そこからは鍼灸大学、鍼灸整骨院、カラオケのアルバイトの夜勤と多忙である意味、充実した日々がはじまります。
1番は、やはり整骨院でのお仕事が濃かったですね
なかなか成長しない僕を厳しく教えてくださり、治療家としての心構えや基礎を
つくってくださった先生に感謝してもしきれません。
体をこわしながらも
いくら当時は若かったとはいえ、そんな生活を続けていると 、体調がくずれないわけもありません。
高熱や夜中とまらない咳に悩まされた事もあり、健康の有り難さを噛み締めながら、なんとか四年間通い続け、無事大学を卒業して国家試験に合格することができました。
嬉しいというよりも、ホッと安心した気持ちの方が強かったです。
卒業後の祖父からの嬉しい一言
また祖父に何かいわれたら嫌だなと思い、忙しいのも手伝って自然と足が遠のいていたのかもしれません。祖父母のところへ1、2年ぶりに国家試験合格の報告にいきました。
その予想とは逆に、まさかの祖父からの一言
祖父 :『よかったなぁ、おめでとう、応援してたから嬉しいぞ!』
僕:『えー!!そーやったん?てっきり ずっと反対されてると思っててん…』
とても驚きかなり嬉しかったです。
そして、初めて祖父を治療した時には、『楽になった!上手やなぁ』と言ってもらえて俄然やる気がでてきたのを覚えています。
孫を応援してないおじいちゃん、おばあちゃんなんかいないんですね、しばらく顔を出してなかったのを少し後悔しました。
その後、祖父は他界はしましたが、足が弱って歩く事が難しくなった祖父の治療を定期的に続けさせてもらい、喜んでもらえた事で、少しでもおじいちゃん孝行できたのかなと自分なりに思っています。
大学から専門学校へ
当時、鍼灸師の資格はとったものの、整骨院にこられる患者さまは、急な怪 我や捻挫などの痛みで悩まれている方が多かったです。
そして、まずはじめに心配されるのが、『骨は大丈夫かなぁ?骨折してないかなあ』という内容。
はじめにしっかりとそのような判断ができることが必要だと感じていました。
先生と同じ、筋肉と骨の専門家である柔道整復師の資格を取得しようと思い、大学卒業後はそのまま夜間の専門学校に進学して日々、仕事と勉強に励んでいました。
痛みや急な怪我に悩まれている方と向き合うため、もちろん簡単に良くなるわけもなく、日々悪戦苦闘です。
当時は、お世話になっていた先生のもとを感謝しつつ退職し、新たな道に進んでいました。
悶々とする日々
原因がはっき りしている急な怪我などは、はじめの判断をしっかりして、治療していけば、良くなっていく事がわかり喜んで貰えるようにはなっていました。
ですが、もちろん、中にはなかなか良くならない方や、怪我が治っても以前からある慢性的な痛みや不調などにも悩まれいる方が増えているんだなあと感じていました。
特に内科疾患やストレスに悩まされて、そのせいで怪我や痛みの回復も遅れている方が多く、そんな方にもっと向き合いたいと思い、日々悶々としていました。
鍼灸を学んでいてよかった
そんな思いが強くなっている時に、鍼灸のちからを再確認していました。筋肉や神経だけでなく、内臓やストレスなど、いろんな疾患に対応でき る
高校時代に鍼灸を決めた理由のひとつがこれでしたので、本当に鍼灸を学んでいてよかったと思います。
そして、以前働いていた整骨院の先生は柔道整復師の資格だけだったので、より鍼灸の本質を学びたいと思って色んな先生方に会いにいくようになっていました。
鍼灸の世界は独特で『自分自身が、この人や!』と思える先生もなかなか出会えず探していました。
人生の師匠との出会い
ついに素晴らしい出会いに恵まれました。その先生は中国という鍼灸発祥の地で三年間、鍼灸の本質を学ばれていた方でした。
治療家としての技術、知識はもちろんですが、それだけでなく人として、とても魅力のある先生です。まさに人生 の師匠。
希望が見えました
その師匠との出会いがきっかけで人としての成長を感じながら治療家としても前にもまして楽しくなってきました。
そんな時に妻の膝の靭帯断裂という怪我…
松葉杖でしか歩けず、困ってる妻に対しても、しっかりと自信を持って治療する事ができ、一ヶ月で仕事にも復帰できるぐらいには回復しました。
やっぱり普通に歩けるって有難い事なんですね。
そんな夫婦2人で思いやる気持ちが再確認でき、幸せをかみしめる事ができ素敵な送りものが
ついにきてくれました。
妻との間に、なかなかできずにいた、はじめての子宝にも恵まれ 希望が大きくなりより明るくなっていくのを感じています。
ようやく自分の目指す理想の治療家像が
整形外科とよく対比される、骨と筋肉の専門である、どちらかというと西洋医学の考え方に近い柔道整復と中国発祥の東洋医学の鍼灸という2つの治療のよいところを合わせていく。そして、患者さまに合わせてそれを1番よい形で提供する事が、僕の目指す治療家像です。
理想に少しでも近づけるように技術や知識を高めてより良くなるために学習していくよう、日々励みたいと思います。
一緒に歩んでいきましょう
三千年前から現在まで語り継がれて残っている東洋医学とこれからも急速な進歩をし続ける>西洋医学のどちらがいいとかではなく、同じ医療として、バランス よくお互いの必要とされるものを活かすことが大事だと考えています。
予防も救急医療もどちらも大切です。ようは何を相手が求めているかだと思います。つまり患者さんの良くなるんだという気持ちと、治療家の少しでも良くしてあげるのではなく、よくなってもらいたいという気待ちこの両者が向きあいながら、同じ方を向いて、歩んでいく事が治療に大切なことだと考えています。
あの時の変わらぬ思いを持ち続けて
さまざまなご縁に感謝しながら、自分の理想の治療を提供できる場をつくれたことに本当に嬉しく思います。
あの足首の怪我をした時にかけられた一言によって僕が救われたように、その人の目指すことに 合わせて一緒に歩んでいけるよう1番良い治療を提供する
そして、僕のように足の怪我や不調で祖父や妻のように普通に歩けない、思いっきり走れない事で悩んでいる方にしたい事を楽しんでもらえるように正しい歩き方や足の治療を行うことで足を大切にしてもらえる事。この思いを忘れずに日々、臨床に励んでいきたいです。
今までご縁があった方たちのおかげで、素晴らしい空間を開院できた事に感謝しています。
医療や治療に終わりはありません。
そして、お会いした方にこれからも喜んでもらえるように、 人としても成長し続けれるようにこれからも日々、学んでいきます。